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三日平氏の乱 (鎌倉時代) : ウィキペディア日本語版 | 三日平氏の乱 (鎌倉時代)[みっかへいしのらん] 三日平氏の乱(みっかへいしのらん)は、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件。建仁3年(1203年)12月に伊勢平氏の若菜盛高らが蜂起し、討伐に向かった鎌倉幕府軍の平賀朝雅が、元久元年(1204年)4月10日から12日の間に反乱軍を鎮圧した事から「三日平氏の乱」と称された。 == 背景 == 鎌倉幕府は初代将軍源頼朝の死後に内紛が続き、正治2年(1200年)正月に梶原景時の変を受けて京において建仁の乱が起こるなど、その影響は都にも及んだ。建仁3年(1203年)9月の比企能員の変・2代将軍源頼家の追放によって12歳の3代将軍源実朝が擁立され、北条時政が実権を握った幕府は10月3日に時政の娘婿平賀朝雅を京都守護として京に派遣し、朝雅は西国に領地を持つ武蔵国の御家人を率いて上洛した。 一方、伊勢・伊賀地域は治承・寿永の乱で滅亡した平家の本拠地であり、元暦元年(1184年)の三日平氏の乱 (平安時代)で平家残党の蜂起が鎮圧された後も根絶された訳ではなく、隠然たる勢力があった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三日平氏の乱 (鎌倉時代)」の詳細全文を読む
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